『探偵の現場』 岡田真弓
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
著者は女性にして総合探偵社を設立し、社長を務めている。ラジオ番組「岡田真弓の未来相談室」でのパーソナリティを始め、様々なメディアに出演している。
この探偵社がユニークなのは、探偵学校を併設していること。初級から独立開業コースまで3つのコースがあり、修了者の2割が探偵業を営んでいるという。
もうひとつユニークな点は、業界でいち早くカウンセラー制度を導入し、従来の探偵社のように調査をしたらおしまいではなく、依頼者の心のケアもサポートしていること。こうしたきめ細かいアフターケアは女性ならではの心遣いだろう。実際に当社がかかわった事案では、浮気の事実発覚後も7割は離婚せずに夫婦関係を継続しているという。
探偵社への依頼の7割は浮気調査で、当社がかかわった浮気調査の顛末が豊富に紹介されている。紹介されている事案は、どれも「事実は小説よりも奇なり」で、業務に慣れている探偵でさえ茫然としてしまうケースも少なくない。なかでも警官の妻からの浮気調査は、ひとつ間違えば夫である警官から逮捕されてしまうリスクも背負うので、探偵も楽じゃない。
当社の浮気調査によると、
・不倫相手の半分以上は、同じ会社の上司や同僚。
・愛人は妻より容姿が劣っている女性が多い。その理由は容姿が劣っている女性の方が、異性と巡り会うケースが少ないせいか、男性に尽くすタイプが多いそうだ。
・浮気する年齢は40代がもっとも多く、全体の38%を占める。
また、社会の変化に合わせて、浮気の実態もここ数十年で大きく変動しているのが興味深い。
・かつて依頼者は妻が9割を占め、夫は1割にすぎなかったが、今では依頼者の4割が夫である。
・60歳をすぎた依頼人の急増。
「マンションで張り込みをしていたら、管理人から質問を受けた。どうしたらよいか?」といった、探偵の尾行や聞き取り調査の実践テクニックが惜しげもなく紹介されている。
また、探偵の7つ道具として、以前はビデオや録音機といった、かさばる機器を持ち歩いていたが、現在ではほとんどはスマホで用が足りてしまうそうで、探偵必須のアプリも明記されている。
探偵が浮気の有無を判断する材料として、「不倫・浮気チェック法」が具体的に紹介されている。一例として、「知らない香水やタバコの香りがする」「下着が変わった」など。浮気をしている人も、されている人も大いに参考にしてよいのでは?
『AX アックス』 伊坂幸太郎
おすすめ度: ★★★ (3つ星が最高点)
恐妻家にして一人息子のよき父である、凄腕の殺し屋が活躍する短編集。主人公の表の顔は文具メーカーの営業社員・三宅であり、殺しの世界では兜と呼ばれる。
主人公は不遇な少年時代を過ごし、生きるためにやむをえず殺人で生計を立てている。両手両足の指では足りないほどの殺人を執行したベテランの仕事人だが、自分の家族と自分によって殺された者たちの家族を案じ、殺しの世界から足を洗うことを決意する。殺人の仲介者である医師に辞意を伝えたその日から、医師が差し向けた殺し屋から命を狙われ始める。
5つの短編がそれぞれ独立しながらも、緩やかに連携し、大きな物語として最終話に収斂していく。
主人公の人物造形がいい。業界では一流の殺し屋として恐れられる存在。家庭では、妻との関係を円滑にするための処世術を、ノートにまとめている小心者。息子からは妻に気を遣いすぎると呆れられる始末だ。また、満足な青春期を送ることができず、親しい男友達がいない主人公は、理解しあえる友人を作りたいと切に願っている哀れな中年男でもある。
この小説は、死と隣り合わせの稼業を営む男の特別な物語ではない。主人公ほど切迫した死の不安を意識していないだけで、誰もが生きている以上は死の淵に面している。明日、交通事故に遇うかもしれないし、1週間後、心臓発作で突然死するかもしれないし、1か月後、巨大地震に見舞われるかもしれない。私たちだって、主人公と同じように常に死のリスクにさらされている。したがって、主人公の生きることへの不安は、私たちの不安でもある。
主人公は多くの人を殺め、他人を犠牲にすることでしか、自分たち家族が生きていけないことに強い罪悪感を持っている。私たちもまた他人を傷つけることでしか、生きていけない存在だ。「他人の犠牲」を自覚して生きている分、無自覚な私たちよりも主人公の方が人間社会を理解しているといえるかもしれない。
すべての文章に伏線が張られている、といっても過言ではないほど、高度な計算と技巧にあふれている。にもかかわらず、読者は著者の企みに気が付かない。気が付かないばかりか、軽く読み流してしまう。読み終えた瞬間に、さりげないセリフに込められた重要さにようやく気が付き、心地よい「やられた」感とじわじわした感動を覚える。
死への不安という暗いテーマを扱いながら、ユーモアあふれる軽妙な文体により重苦しさを回避している。伊坂マジックと呼ぶべき高品質なスタイルは、うなるほどうまい。
手に汗握るスリリングな犯罪小説であり、予想不可能な娯楽小説であり、愛に満ちた家族小説。
『売春島 最後の桃源郷 渡鹿野島ルポ』高木瑞穂
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
1995年8月、当時17歳だった少女が三重県志摩市の、ある島から泳いで逃げ、警察に助けを求めた。彼女はナンパされて付き合っていた彼氏から騙され、島で売春を強要されていたと警察に話した。その島の名は渡鹿野島、地元では売春島と呼ばれていた。この事件に関心をもった著者は、売春産業にかかわっていた人々を探し出し、聞き取り調査を開始する。
江戸時代から、渡鹿野島は漁師を相手にした芸子置屋が数件存在した。戦時中の1944年頃、500人の予科練生が駐在したことから、彼らが口コミで売春島の噂が生まれたという。
1960年代後半に四国から4人の女性がやってきて、売春を始める。彼女たちは、ほどなくして多数の売春婦をかかえる置屋を経営し、本格的な売春斡旋業を展開していく。なかでも岡田雅子は自分を逮捕した警官を抱き込み、その男と夫婦となると、旅館「つたや」を経営し、売春の元締めとして巨額の富を築いていく。
1980年代から90年代にかけて、島は黄金期を迎え、目抜き通りを歩くと肩が触れ合うほどの人であふれかえるほどだったという。売春婦の数は100人とも200人ともいわれ、多くは家出少女、多重債務を抱えた女、やくざに騙された女だった。社会の底辺にいる者が、さらなる弱者から金を搾取する世界だった。
30人以上の女性を売春島に売りとばした元やくざが、当時を振り返ってこううそぶく。
「頭には、カネと愛する嫁のことしかなかった。自分と、自分の嫁に良い生活をさせるためには他の女を泣かせても・・・(中略)男の口車に乗せられて売春島に流された女は俺の知る限りみんな、どこかヌケてるよ」
一方、やくざの夫に頼みこまれ、売春婦をしていた姐さんは当時をこう回想する。
「ほんとに良い島やったよ。(中略)みんな自分の意志で働きに来とるんやもん。私も惚れた男のためなら『売春でもなんでもしたるわ!』って」
2000年以降、性産業の多様化、2016年の伊勢志摩サミットの伴うクリーン化政策などの影響で、島は時代の波に押され、売春産業は衰退していく。とどめをさしたのが、「つたや」を経営していた岡田雅子が、詐欺師Y藤に新規事業をダシにカネをだまし取られ、破産してしまった出来事だった。
皮肉なことに、売春産業が衰え、町がクリーン化されるとともに、若者が消えていき、島は時代から取り残され、衰退の一途をたどる。現在、大手ホテルがひとり勝ちの状態であるほかは、風前の灯となる。ある島を舞台に金と色に取りつかれた亡者たちの栄枯盛衰記。
『山怪』 田中康弘
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
タイトルの「山怪」とは誰もが存在を認めていながら、正体のわからない日本の山にいる怪奇的な何かをいう。著者はフリーカメラマンとして、全国の山や狩猟の現場を歩き回っている。そこで収集した語りの原石である山怪を収集したものが本書である。
本書に登場する山怪は、闇夜に見える狐火、歩きなれたはずの場所で忽然と行方不明となってしまう神隠し、周囲に何もいないはずなのに不気味な音がするといった類の話が満載されている。
著者はこうした不可思議な出来事に対して、実在する現象ではなく、個人の脳内に浮かび上がる心象ではないかと推測している。だが、その風景を浮かび上がらせている源は山にあるという。
語りは語られてこそ命脈を保つことができる儚い存在である。著者が本書を執筆した動機は、現代社会では都会だけでなく山村であっても、テレビやゲームの登場によって、かつて地域に伝承された語りが消えつつあることに危機感を持ったことによる。
著者が懸念する通り、あと数十年もしたら、ここで語られた物語は語り部を失い消滅してしまっていただろう。現代の『遠野物語』というべき貴重な作品である。
『熊と踊れ』 アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ
- 作者: アンデシュ・ルースルンド,ステファン・トゥンベリ,ヘレンハルメ美穂,羽根由
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/09/08
- メディア: 文庫
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おすすめ度: ★★★ (3つ星が最高点)
3人の兄弟、幼馴染の元軍人の4人がスウェ-デン軍の武器庫から大量の銃器を略奪する。彼らは奪った武器を元手に銀行強盗を始め、次々と現金強奪を成功させる。警察はその手口の鮮やかさからプロフェッショナルな犯罪集団と予想し、捜査を開始するが、一向に容疑者が浮かび上がらない。一方、順調に犯行を重ね、固い絆に結ばれたはず兄弟たちだったが、いつしか思わくの違いから仲間割れが生じ、犯行のほころびが拡大していく。
銀行強盗の過程をつぶさに追跡した現在と、暴力的な父親により3兄弟と母親が翻弄されていく過去が、交互に描かれながら物語は進行していく。
家族の団結という名の下に独裁的に家族を支配しようとする父、その父を嫌悪していた長男レオが、事件を起こすたびにいつしか父のように弟たちを支配していく過程が恐ろしい。
もうひとつの物語の軸は、捜査を指揮するヨン・ブロンクス警部だ。彼は、数年前に妻と別れ、現在は独り身で孤独な生活を送っている。元妻も警察の同僚であり、鑑識官として事件の捜査にあたっていた。また、実兄は親殺しで刑に服していた。生まれ育った家庭が破たんしているという点において、彼もまた犯人の家族と共通している。
本書は、1990年代初頭、スウェ-デンで発生した実在の銀行強盗を素材がモデルとなっている。執筆者のひとりであるステファン・トゥンベリは事件には加担していなかったが、犯行グループの兄弟のひとりであった。もうひとりの執筆者アンデシュ・ルースルンドは当時テレビ記者としてこの事件を取材していた。事件にもっとも詳しい因縁のふたりの共同執筆により、これまでにない臨場感を生み出している。
手に汗握るスリリングな犯罪小説であると同時に、家族の絆の力強さと脆さテーマにした最良の家族小説にもなっている。家族の絆を見失ってしまった警察官と、家族の絆を死守しようとする犯罪者との対比が見事。北欧ミステリーの最高峰。
『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』 伊藤邦武
おすすめ度: ★★ (3つ星が最高点)
「宇宙はなぜ哲学の問題になるのか」というテーマで、ソクラテスやプラトンがいた古代ギリシャ時代まで遡って解き明かす知的冒険に満ちた一冊。
宇宙は確固たる数学的な構造であり、芸術的調和を体現している。一方、人の魂は何が科学的に真であり、何が芸術的に美であるか考える力をもっている。宇宙と人の魂は、別々に探究されるべきであるが、最終的には同じ構造をもっている。こうした思想に基づき、惑星の運行システムというアイデアを発明し、そのシステムを動かす宇宙的な魂の力について思索した。
18世紀に生きた哲学者カントは、人間だけでなく、宇宙にいる知的生命体は私たちと同じ方法で幾何学の定理などを理解しているはずであると考えた。18世紀という時代に、すでに宇宙人の存在に言及したカントの先見性は驚異的ですらある。
18世紀と現代では、比べられないほど宇宙の研究は進歩したが、現代物理学者が宇宙にいる知的生命体の存在を探ろうという計画の根本にあるのは、カントの思想から何ら変わっていない。つまり「人類が獲得した科学技術は普遍性をもったものであり、人類とは異なる知性をもった生命体であっても、同じ論理的な体系に行き着く」はずであるという確信である。
事実、SETIプログラムでは、地球外文明からの信号を電波干渉計によって探知しようとする試みを継続している。
ところが、哲学者たちからはこうした物理学者たちの主張を疑問視する声が有力である。
なぜなら、仮に知的生命体からメッセージを人類が受信したとしても、その情報を翻訳するやり方が多すぎてどれが正しいか決定できない。さらに、メッセージを交換するためには、その交換を行う者同士の間に基本的な生活様式の共有がなければ成立しない。人類と知的生命体とはほとんど生活様式を共有していないと考えられる。したがって、私たちが宇宙の果てから電波のデータを大量に受け取ったとしても、その解読に成功し、コミュニケーションをできる可能性は非常に低いというわけだ。
『巨乳の誕生』 安田理央
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
かつて男性は巨乳の女性に対して無関心であり冷淡だった、といったらびっくりするだろう。しかし、本書によると、大きな胸を性的な魅力であると、一般的にみなされるようになったのは、1990年代以降のことらしい。
江戸時代、春画に登場する女性たちは男性と区別できないほど平坦な胸だった。そもそも女性の胸が描かれること自体、少なかった。混浴が日常であった当時、女性の裸は顔を見せるのと変わらなかった。また、女性の胸とは母乳を飲む赤ん坊のものであり、性的な器官とは思われていなかったのだ。
1940年代~1950年代、外国映画で、ジェーン・ラッセル、マリリン・モンロー、ジェーン・マンスフィールドらの登場によって、肉感あふれる女優が外国でもてはやされた。日本にもその余波が伝わり、ストリッパーや肉体女優が登場し、次第にバストがセックス・アピールのひとつと認知されていく。
1970年代、ハワイ出身のアグネス・ラムや麻田奈美のリンゴ・ヌードの大ブームによって、徐々に大きな胸が市民権を獲得していく。
それでもまだ世間では「大きな胸をした女性は頭が悪い」とか「性的感度が悪い」という俗説が信じられ、巨乳の女性は肩身が狭かった。1980年代のAVブームでも、胸の大きなAV女優は人気を勝ち得ることができなかった。
転機が訪れたのは、1989年、AV界に松坂季実子がデビューし、外国人にも引けをとらない110センチのバストが大評判となり、ようやく巨乳が一般に認知される。これ以降、AV女優だけでなく、グラビア・アイドルもバストの大きい女性たちがもてはやされ、現代にいたる。
もうひとつの本書の読みどころは、豊かな胸を表す表現の変遷である。1967年に大橋巨泉がテレビで朝丘雪路の胸をボインと評したことが発端。1970年代はデカパイが多用される。1980年代から1990年代はアメリカのアダルトマガジンに使われていたDカップという表現が日本でも定着した。AV女優の松坂季実子の登場以降、巨乳という言葉が一般的になる。かつては大きな胸を意味したCカップやDカップが珍しくなくなった現代においては、巨乳よりさらに大きいという意味で爆乳という言葉まで現れた。