『マリア・シャラポワ自伝』 マリア・シャラポワ
おすすめ度:★★★ (3つ星が最高点)
ウィンブルドンで優勝実績をもつ女子テニス選手マリア・シャラポアの自伝。
テニスに関心がない人でも、彼女のジェットコースター人生に圧倒されること間違いなしの半生記。
6歳で父親に連れられロシアから渡米し、プロのテニス選手を目指すためテニスの専門学校に入学する。満足に英語すらしゃべれない父は職を転々としながらも、マリアを学校に通わせるための生活費と学費をかせぐ。明日のスター選手を夢見て世界各国から集まってきた生徒たちとの寄宿舎生活。そこでの生活は同じ夢を目指す仲間ではなく、敵対心をむき出しにしたライバルたちとしのぎを削る世界だった。こうした下積みのジュニア時代を経験し、徐々にトーナメントで頭角を現していく。わずか17歳にして、当時女王として君臨していたセリーナ・ウィリアムズを倒しウィンブルドンで優勝。そして18歳で念願の世界ランキング1位を取得。
これまでの困窮ぶりから一変し、スポンサーがたくさん現れ、一流選手の仲間入りをする。歓喜したのもつかの間、激しい練習が原因で肩に激痛が生じ、大手術を受ける。選手生命の危機に直面しながらも、地道にリハビリを続け、見事に第一戦に返り咲く。よきコーチ役であった父を解雇し、往年の名選手であるジミー・コナーズをコーチとして迎えたものの、馬が合わず解雇。30歳近くになりキャリアの集大成を考えていたとき、突如、ドーピング疑惑により15か月にも及ぶ休場を余儀なくされる。
本書を読むと、世界中を飛び回って試合をこなすプロのテニス選手の生活ぶりがあますことなくわかる。わが子をプロ選手にしようと躍起するモンスター・ペアレンツたち、ウィンブルドンで敗れたセリーナが控室で号泣していたこと、バスケット選手やテニス選手との淡い恋などが赤裸々に語られている。
本書を読んで納得したことがある。一流の選手とは勝ち続ける者ではなく、負けより勝ち試合が少しだけ多い者であるというシンプルな事実だ。
一度だけシャラポアの試合を観戦したことがある。当時、シャラポワはテニス選手として絶頂期で、その美貌と相まって日本でも大人気だった。会場は空席がひとつもない満員状態。試合が始まると満員の場内は水を打ったかのような静寂に包まれていた。聞こえるのは、選手の荒い息遣いとボールの音だけだった。いまでも闘争心をむき出しにしたシャラポワのプレーが目に焼き付いている。
『エベレストには登らない』 角幡唯介
おすすめ度: ★★ (3つ星が最高点)
角幡唯介は、これまでに『空白の5マイル』『漂流』など優れた冒険ノンフィクションを手掛けている。
本書は、アウトドア月刊誌『Bepal』に連載されたエッセイをまとめたものである。1回あたり5ページと手ごろに読めるが、冒険とは無縁の一般人には想像しがたい冒険家の日常生活や行動原理がわかる好エッセイとなっている。
角幡氏の冒険へのスタンスは、本書のタイトルである『エベレストには登らない』という言葉に言い尽くされている。世界最高峰を誇るエベレストはかつて常人には登ることのできない未知のフロンィアのひとつとして存在していた。ところが、登頂のノウハウが確立され、今では山岳ガイドが随行する「エベレスト登頂ツアー」で登るのが可能となっている。誰でも容易に登れる山ではないにせよ、冒険と呼ぶにはほど遠い存在の山となっている。冒険家として角幡氏はそんな観光化された地に行きたくないという矜持をもつ。
優れた冒険家が優れた書き手とは限らない。優れた書き手が優れた冒険家であることも稀である。角幡唯介は優れた書き手であり、優れた冒険家でもある、稀有な存在である。
『淳子のてっぺん』唯川恵
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
女性として世界初のエベレスト登頂を果たした田部井淳子をモデルとした物語。
小学生時代に、同級生の勇太たちと那須岳に登った体験から物語は始まる。淳子は父の望む大学に入学したものの、厳しい寮生活になじめず、心身症を患い休学してしまう。たまたま大学の同級生に誘われて登った御岳山が、山登りを再開するきっかけとなった。一ノ倉沢で幼馴染の勇太と再会し、本格的に山にのめりこみ、社会人登山会で活躍し始める。
淳子の「山に登りたい」という純粋な思いの前に立ちはだかるのは、当時の頑強な男社会の風当たりの強さだった。「女が山に登れるのか」という山男からの嘲りと侮蔑。敵は男ばかりではなかった。古き時代の女性の幸せを願う母は、自分の目にかなう結婚相手を次々と淳子にお見合い話を勧めてくるのだった。母の反対に苦慮しながらも、淳子は同じ山友達の田名部正之と結婚を果たす。
男社会を見返してやりたいという強い思いから、淳子は女性のみの登山隊の設立にかかわり、副隊長としてネパールのアンナプルナ登攀を目指す。ところが、同士であるはずの女性隊員たちと次々と確執が生じる。幼い子を育てながら、家庭と職場と山に遁走する淳子に対する隊員たちの無理解。隊員の誰もが登頂したいと願いながら、淳子とパートナー小百合の2人しかアタック隊に選出されなかったことへの嫉妬。登頂を果たしたものの、淳子はやり遂げた達成感よりも自分だけが登ってしまったという罪悪感に悩まされる。
アンナプルナ登攀の成功後、ほどなくしてアンナプルナで隊長を務めた広田明子から、夢物語と思っていたエベレスト登攀を打診されるが・・・
小説という形でしか真実を書けなかった物語だ。ノンフィクションでは、淳子をはじめとする主要な登場人物たちの心情に肉薄できなかった。女性登山家の黎明期に自分らしく信念を貫いて生き抜いた一代記。
『小沢健二の帰還』 宇野維正
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
本書は、ミュージシャン小沢健二の空白の19年の謎を追求したものだ。
小沢健二は、1990年頃に一世を風靡した渋谷系(渋谷のライブハウスを中心に活躍したミュージシャンを指す)の代表的なバンドであるフリッパーズ・ギターに在籍していた。フリッパーズ・ギター解散後は、ソロ・デビューし、1994年、「今夜はブギーバック」や「ラブリー」などが収められた名アルバム「LIFE」を大ヒットさせ、一躍ポップ・スターとして名を馳せた。
私はフリッパーズ・ギター時代から彼の大ファンであり、ソロ3枚目のアルバム「球体の奏でる音楽」以降、1998年ころから徐々に表舞台からフェードアウトしてしまう様子をさびしく思っていた。あのまま失速せずにずっと走り続けていれば、きっと国民的なシンガーになっていたに違いないと。
本書は、芸能人の私生活を暴露するのではなく、公表された楽曲や出版物、ブログなどに基づき、丁寧に事実関係を調べあげ、謎の空白期間を推察している。公表された作品だけを頼りに謎解きをするのは、ミュージシャンとファンという関係性において、とっても誠実な姿勢だと思う。
なぜ小沢は一時的に戦線から離脱したのか?なぜ2016年になって、突如、19年ぶりのシングルを発売し、また表舞台に舞い戻ってきたのか?
本書でもその理由は、明快な解答としては提示されていない。ただ、小沢健二が虚構に彩られたポップ・スターであり続けることに懐疑的になったことは間違いないようだ。一線から退いたのは、表現者として真摯でありたいという、誠実な行為であったと私は理解した。
それに、空白期であっても小沢健二は表現者としての活動を全く辞めてしまったわけではなかった。かつてのように華々しくメディアに登場していなかっただけであって、地道に音楽活動と創作活動を行っていた。アメリカ人の妻とともに、世界各国を巡り見識を広げ、人間として大きな成長を遂げていたことも本書を読んでよくわかった。
本書は小沢健二が一過的なポップ・スターから真のアーティストとして復活を遂げた貴重な記録といえる。
『アイドル、やめました AKB48のセカンドキャリア』 大木亜希子
おすすめ度: ★ (3つ星が最高点)
「卒業してしまったアイドルたちは、今、どうしているんだろう」誰もがときに頭に浮かぶ疑問だ。週刊誌でも「あの人は、今」といった記事がしばしば登場する。
本書は秋元康プロデュースSDN48のメンバーとして活躍した経験を持つ著者が、AKB48を卒業した元アイドルたちを訪ね歩き、芸能界以外で活躍している面々をインタビューしたものである。
一見きらびやかなアイドル業界は、場合によっては心身を蝕む過酷な世界でもある。
握手会は、アイドルにとって残酷な場所でもある。
河野早紀「握手会って、人気が数値化されるから怖いですね。私の隣のメンバーの子はファンの人の大行列ができていても、私のレーンには同じ人しか来ないんです」
自分の方がはるかに歌やダンスがうまいのにバックダンサーとしてしか出演できない、学校とアイドル活動を両立させるため、朝6時から深夜までフルで活動せざる得ない、といったこともアイドルの心身を壊す原因となる。「アイドルって頑張ったぶんだけ認められる職業でもない」(三ツ井裕美)からだ。
本書に登場する元アイドル8人のセカンドキャリアは多岐にわたっている。アパレル販売員、ラジオ局社員、保育士、バーテンダーなど、アイドルと無縁な職業ばかり。
でも、保育士になった藤本美月はこう答える。「アイドルの時はファンの人を笑顔にできるようにと考える。そして、今は園児を笑顔にできるように頑張る。環境は変わっても、やるべきことは一緒です」
本書を読んで救われるのは、過酷だったアイドル稼業を経験しながらも、元アイドルたちは、みな一様に「アイドルでいられたことは今の人生にプラスになっている」と述懐していることだ。「何があっても立ち上がる力を鍛えてもらった」(三ツ井裕美)
著者がいうように、最後尾でしか踊れなかったアイドルだって、「ステージの中央からではなく、端っこだからこそ見えていた風景と経験が、人生をより豊かにしてくれるはずだから」
『狼の怨歌』平井和正
おすすめ度: ★★★ (3つ星が最高点)
『狼の紋章』に続く2作目。
前作で死亡したと思われていた大神が生きていた。大神は、不老不死の研究に勤しむマッド・サイエンシストの人体実験の材料として囚われの身になっていた。
一方、ジャーナリスト神は、CIA、中国諜報機関の双方から付け狙われる。CIA、中国諜報機関もまた、不老不死の秘密を巡って争奪戦を繰り広げていたのだ。大神が生きていることを知った神は同じ狼人として、大神を助け出すことを決意する。こうして、神、CIA、中国の諜報機関が三つ巴となって壮絶なバトルを繰り広げる。
CIAの冷血な強者・西城、中国諜報機関の女性スパイなど魅力的なキャラクターが数多く登場し、外連味たっぷりの戦いは手に汗握る。
『狼の紋章』平井和正
おすすめ度: ★★ (3つ星が最高点)
夜の帰り道、美人教師が暴漢に襲われたが、突如、素性の知れぬ男が現れ彼女を救いだす。
翌日、彼女が勤める私立中学校に大神明という名の少年が転校してくる。美人教師は彼が自分を暴漢から救ってくれた者だと直感する。
一方、学校を裏で支配する不良少年グループは、得体のしれない不気味さを身にまとった大神を快く思わず、毎日、彼に暴力をふるう。不良少年たちから袋叩きにあいながらも、無抵抗を貫く彼の姿を見て、良心的な生徒たちは大神をカリスマとして祭り上げようとする。
不良少年たちのリーダー格は暴力団員の父を持つ生来の悪人であった。大神と真剣勝負をすべく美人教師を人質にとり、大神を挑発する。そして、二人の戦いの火ぶたが切って落とされた。
元々、マンガとして発表されたものを小説化したこともあり、劇画のように物語が起伏に富み、外連味たっぷりの描写はリーダビリティ抜群。ご都合主義も少しも気にならないほど、強力なストーリー展開でぐいぐいと読者を引きずりこむ。娯楽小説のお手本のような作品。
生賴範義の表紙と挿絵が最大限に物語に花を添えている。