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『植村直己冒険の軌跡』中出水勲

 

ヤマケイ文庫 植村直己冒険の軌跡

ヤマケイ文庫 植村直己冒険の軌跡

  • 作者:中出水 勲
  • 発売日: 2020/09/07
  • メディア: 文庫
 

 

おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

 明治大学山岳部で植村直己と同期であり、日刊スポーツ新聞社の記者であった中出水勲による植村直己の冒険の軌跡をたどったもの。植村直己自身が執筆した著書には全く触れられていない秘話も多数収録されている。

 

 なかでも山岳部時代の回想録が興味深い。植村は部内では目立たない存在だったという。当時の山岳部の部員たちは、異口同音に「あまり植村の記憶は残ってない。目立たない存在だったよ」と評している。

 植村の同期には、中学・高校時代を通じて登山を続け、ずば抜けた才能をもつ小林正尚という男がいた。山登りの初心者であった植村は、小林に強いコンプレックスを持つ。上級生になっても小林の後背ばかりで、ナンバー2に甘んじなければならず、忸怩たる思いがくすぶっていたようだ。

 

 植村が冒険史においてその名を刻むのは、5大陸最高峰の最初の登攀者であり、大人数で編成された登山隊で登るのが主流であった時代に、エベレスト以外は単独行であった業績が評価されているからだ。

 

 植村が単独行に固執したのは、集団の中では埋没してしまうことを大学生時代から強く自覚していたからであることが、本書を読むとよくわかる。植村にとって苦肉の策ともいえる単独行というスタイルが、結果的に植村を世界的に有名な冒険家にならしめたことは皮肉ともいえる。

 植村は「おれの冒険の始まりは、結局のところ、『自分が生きている』ということを認めてもらうためだし、そして、自分で納得するためにはこの肉体しかなかったんだ」という劣等感を生涯もちつづけていた。だからこそ、わずらわしい人間関係から逃れ、自分ひとりで自由奔放に振る舞うことのできる単独行にいきついた。

それを如実に裏付けるエピソードがヒマラヤゴジュンバ・カンの遠征隊への参加だ。

 

 植村がフランスに滞在していたときに、明治大学山岳部からヒマラヤのゴジュンバ・カンの遠征隊に加わらないかと打診された。植村は迷った挙句、サポート役に徹することで参加することを決意する。サポート役に徹することにしたのは、途中からの参加では、勤めていた会社を退職してまで日本での計画や事前準備に徹してきた仲間たちに申し訳ないという気持ちからだった。ところが、第1次隊が頂上へのアタックに失敗したことから、植村は期せずして第2次隊に選ばれ、登攀に成功してしまう。隊としては彼の成功に歓喜した。しかし、植村自身は、途中からの参加者である自分が登頂という栄誉を横取りしてしまった、という罪悪感に悩まされた。だから、彼は遠征隊で唯一の登攀者なのに、隊と一緒に帰国せずに、またフランスに戻ってしまう。

 この一件以来、植村はエベレスト以外、単独行を貫き通すことになる。

『職業としての地下アイドル』 姫野たま

 

職業としての地下アイドル (朝日新書)

職業としての地下アイドル (朝日新書)

  • 作者:姫乃たま
  • 発売日: 2017/09/13
  • メディア: 新書
 

 

 地下アイドル歴10年のキャリアをもち、2019年に卒業した姫野たまによる地下アイドル論。地下アイドルとは、テレビ出演ではなく、小規模なライブ・ハウスでの公演を主な活躍の場としているアイドルをいう。

 

 著者は、地下アイドルになった女の子たちのきっかけやモーチベーションといった、誰もが知りたい質問を独自のアンケート調査によって明らかにしている。地下アイドル本人だけでなく、地下アイドルを応援するファンの実態や地下アイドルとファンの関係性にまで考察が及んでいる。地下アイドルは、ファンの存在があってこそ初めて存在しうる。ファンのいないアイドルなどこの世に存在しえない。したがって、地下アイドルを語るためには、ファンについても言及しないと片手落ちとなってしまう。

 

 本書は、一見、社会的にマイナーな地下アイドルをテーマとしながら、現代若者論としても、現代文化論としても通用している。なぜなら、地下アイドルは一部の特殊な女の子ではなく、どこにでもいるごく普通の女の子たちであり、地下アイドルを応援する者たちもごく普通の一般人であるからだ。

 

 「エピローグのようなもの」では、著者の地下アイドルとしての個人史が赤裸々に書かれている。友人からの誘いでひょんなことから地下アイドルになったものの、ファンやスタッフの期待に応えようとするあまり、うつ病を発症してしまう。いったん、引退するものの、周囲に流されず自分らしく生きることを決意し、また地下アイドルの世界に舞い戻る。今度こそ自分を見失うことなく、居心地によい確固たる居場所を見つける。地下アイドルになることは、自分探しの物語でもあったことがわかる。

 


姫乃たま「くれあいの花」

『マリア・シャラポワ自伝』 マリア・シャラポワ

 

マリア・シャラポワ自伝

マリア・シャラポワ自伝

 

 

 おすすめ度:★★★  (3つ星が最高点)

 ウィンブルドンで優勝実績をもつ女子テニス選手マリア・シャラポアの自伝。

テニスに関心がない人でも、彼女のジェットコースター人生に圧倒されること間違いなしの半生記。

 

 6歳で父親に連れられロシアから渡米し、プロのテニス選手を目指すためテニスの専門学校に入学する。満足に英語すらしゃべれない父は職を転々としながらも、マリアを学校に通わせるための生活費と学費をかせぐ。明日のスター選手を夢見て世界各国から集まってきた生徒たちとの寄宿舎生活。そこでの生活は同じ夢を目指す仲間ではなく、敵対心をむき出しにしたライバルたちとしのぎを削る世界だった。こうした下積みのジュニア時代を経験し、徐々にトーナメントで頭角を現していく。わずか17歳にして、当時女王として君臨していたセリーナ・ウィリアムズを倒しウィンブルドンで優勝。そして18歳で念願の世界ランキング1位を取得。

 これまでの困窮ぶりから一変し、スポンサーがたくさん現れ、一流選手の仲間入りをする。歓喜したのもつかの間、激しい練習が原因で肩に激痛が生じ、大手術を受ける。選手生命の危機に直面しながらも、地道にリハビリを続け、見事に第一戦に返り咲く。よきコーチ役であった父を解雇し、往年の名選手であるジミー・コナーズをコーチとして迎えたものの、馬が合わず解雇。30歳近くになりキャリアの集大成を考えていたとき、突如、ドーピング疑惑により15か月にも及ぶ休場を余儀なくされる。

 

 本書を読むと、世界中を飛び回って試合をこなすプロのテニス選手の生活ぶりがあますことなくわかる。わが子をプロ選手にしようと躍起するモンスター・ペアレンツたち、ウィンブルドンで敗れたセリーナが控室で号泣していたこと、バスケット選手やテニス選手との淡い恋などが赤裸々に語られている。

 

 本書を読んで納得したことがある。一流の選手とは勝ち続ける者ではなく、負けより勝ち試合が少しだけ多い者であるというシンプルな事実だ。

 

 一度だけシャラポアの試合を観戦したことがある。当時、シャラポワはテニス選手として絶頂期で、その美貌と相まって日本でも大人気だった。会場は空席がひとつもない満員状態。試合が始まると満員の場内は水を打ったかのような静寂に包まれていた。聞こえるのは、選手の荒い息遣いとボールの音だけだった。いまでも闘争心をむき出しにしたシャラポワのプレーが目に焼き付いている。

『エベレストには登らない』 角幡唯介

 

エベレストには登らない

エベレストには登らない

 

 

  おすすめ度: ★★  (3つ星が最高点)

  角幡唯介は、これまでに『空白の5マイル』『漂流』など優れた冒険ノンフィクションを手掛けている。

本書は、アウトドア月刊誌『Bepal』に連載されたエッセイをまとめたものである。1回あたり5ページと手ごろに読めるが、冒険とは無縁の一般人には想像しがたい冒険家の日常生活や行動原理がわかる好エッセイとなっている。

 

  角幡氏の冒険へのスタンスは、本書のタイトルである『エベレストには登らない』という言葉に言い尽くされている。世界最高峰を誇るエベレストはかつて常人には登ることのできない未知のフロンィアのひとつとして存在していた。ところが、登頂のノウハウが確立され、今では山岳ガイドが随行する「エベレスト登頂ツアー」で登るのが可能となっている。誰でも容易に登れる山ではないにせよ、冒険と呼ぶにはほど遠い存在の山となっている。冒険家として角幡氏はそんな観光化された地に行きたくないという矜持をもつ。

 

  優れた冒険家が優れた書き手とは限らない。優れた書き手が優れた冒険家であることも稀である。角幡唯介は優れた書き手であり、優れた冒険家でもある、稀有な存在である。

『淳子のてっぺん』唯川恵

 

淳子のてっぺん (幻冬舎文庫)

淳子のてっぺん (幻冬舎文庫)

  • 作者:唯川 恵
  • 発売日: 2019/08/06
  • メディア: 文庫
 

 

  おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

  女性として世界初のエベレスト登頂を果たした田部井淳子をモデルとした物語。

 

  小学生時代に、同級生の勇太たちと那須岳に登った体験から物語は始まる。淳子は父の望む大学に入学したものの、厳しい寮生活になじめず、心身症を患い休学してしまう。たまたま大学の同級生に誘われて登った御岳山が、山登りを再開するきっかけとなった。一ノ倉沢で幼馴染の勇太と再会し、本格的に山にのめりこみ、社会人登山会で活躍し始める。

 

  淳子の「山に登りたい」という純粋な思いの前に立ちはだかるのは、当時の頑強な男社会の風当たりの強さだった。「女が山に登れるのか」という山男からの嘲りと侮蔑。敵は男ばかりではなかった。古き時代の女性の幸せを願う母は、自分の目にかなう結婚相手を次々と淳子にお見合い話を勧めてくるのだった。母の反対に苦慮しながらも、淳子は同じ山友達の田名部正之と結婚を果たす。

 

  男社会を見返してやりたいという強い思いから、淳子は女性のみの登山隊の設立にかかわり、副隊長としてネパールのアンナプルナ登攀を目指す。ところが、同士であるはずの女性隊員たちと次々と確執が生じる。幼い子を育てながら、家庭と職場と山に遁走する淳子に対する隊員たちの無理解。隊員の誰もが登頂したいと願いながら、淳子とパートナー小百合の2人しかアタック隊に選出されなかったことへの嫉妬。登頂を果たしたものの、淳子はやり遂げた達成感よりも自分だけが登ってしまったという罪悪感に悩まされる。

 

  アンナプルナ登攀の成功後、ほどなくしてアンナプルナで隊長を務めた広田明子から、夢物語と思っていたエベレスト登攀を打診されるが・・・

 

  小説という形でしか真実を書けなかった物語だ。ノンフィクションでは、淳子をはじめとする主要な登場人物たちの心情に肉薄できなかった。女性登山家の黎明期に自分らしく信念を貫いて生き抜いた一代記。

『小沢健二の帰還』 宇野維正

 

小沢健二の帰還

小沢健二の帰還

  • 作者:宇野 維正
  • 発売日: 2017/11/29
  • メディア: 単行本
 

 

 おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

 本書は、ミュージシャン小沢健二の空白の19年の謎を追求したものだ。

 

 小沢健二は、1990年頃に一世を風靡した渋谷系(渋谷のライブハウスを中心に活躍したミュージシャンを指す)の代表的なバンドであるフリッパーズ・ギターに在籍していた。フリッパーズ・ギター解散後は、ソロ・デビューし、1994年、「今夜はブギーバック」や「ラブリー」などが収められた名アルバム「LIFE」を大ヒットさせ、一躍ポップ・スターとして名を馳せた。

 

 私はフリッパーズ・ギター時代から彼の大ファンであり、ソロ3枚目のアルバム「球体の奏でる音楽」以降、1998年ころから徐々に表舞台からフェードアウトしてしまう様子をさびしく思っていた。あのまま失速せずにずっと走り続けていれば、きっと国民的なシンガーになっていたに違いないと。

 

 本書は、芸能人の私生活を暴露するのではなく、公表された楽曲や出版物、ブログなどに基づき、丁寧に事実関係を調べあげ、謎の空白期間を推察している。公表された作品だけを頼りに謎解きをするのは、ミュージシャンとファンという関係性において、とっても誠実な姿勢だと思う。

 

 なぜ小沢は一時的に戦線から離脱したのか?なぜ2016年になって、突如、19年ぶりのシングルを発売し、また表舞台に舞い戻ってきたのか?

 

 本書でもその理由は、明快な解答としては提示されていない。ただ、小沢健二が虚構に彩られたポップ・スターであり続けることに懐疑的になったことは間違いないようだ。一線から退いたのは、表現者として真摯でありたいという、誠実な行為であったと私は理解した。

 

 それに、空白期であっても小沢健二表現者としての活動を全く辞めてしまったわけではなかった。かつてのように華々しくメディアに登場していなかっただけであって、地道に音楽活動と創作活動を行っていた。アメリカ人の妻とともに、世界各国を巡り見識を広げ、人間として大きな成長を遂げていたことも本書を読んでよくわかった。

 

 本書は小沢健二が一過的なポップ・スターから真のアーティストとして復活を遂げた貴重な記録といえる。

『アイドル、やめました AKB48のセカンドキャリア』 大木亜希子

 

アイドル、やめました。 AKB48のセカンドキャリア

アイドル、やめました。 AKB48のセカンドキャリア

 

 

おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

  「卒業してしまったアイドルたちは、今、どうしているんだろう」誰もがときに頭に浮かぶ疑問だ。週刊誌でも「あの人は、今」といった記事がしばしば登場する。

  本書は秋元康プロデュースSDN48のメンバーとして活躍した経験を持つ著者が、AKB48を卒業した元アイドルたちを訪ね歩き、芸能界以外で活躍している面々をインタビューしたものである。

 

  一見きらびやかなアイドル業界は、場合によっては心身を蝕む過酷な世界でもある。

握手会は、アイドルにとって残酷な場所でもある。

  河野早紀「握手会って、人気が数値化されるから怖いですね。私の隣のメンバーの子はファンの人の大行列ができていても、私のレーンには同じ人しか来ないんです」

 

  自分の方がはるかに歌やダンスがうまいのにバックダンサーとしてしか出演できない、学校とアイドル活動を両立させるため、朝6時から深夜までフルで活動せざる得ない、といったこともアイドルの心身を壊す原因となる。「アイドルって頑張ったぶんだけ認められる職業でもない」(三ツ井裕美)からだ。

 

  本書に登場する元アイドル8人のセカンドキャリアは多岐にわたっている。アパレル販売員、ラジオ局社員、保育士、バーテンダーなど、アイドルと無縁な職業ばかり。

  でも、保育士になった藤本美月はこう答える。「アイドルの時はファンの人を笑顔にできるようにと考える。そして、今は園児を笑顔にできるように頑張る。環境は変わっても、やるべきことは一緒です」

 

  本書を読んで救われるのは、過酷だったアイドル稼業を経験しながらも、元アイドルたちは、みな一様に「アイドルでいられたことは今の人生にプラスになっている」と述懐していることだ。「何があっても立ち上がる力を鍛えてもらった」(三ツ井裕美

 

  著者がいうように、最後尾でしか踊れなかったアイドルだって、「ステージの中央からではなく、端っこだからこそ見えていた風景と経験が、人生をより豊かにしてくれるはずだから」