本のソムリエ

おすすめ本を紹介します

『湖の男』アーナルデュル・インドリダソン

 

湖の男 (創元推理文庫)

湖の男 (創元推理文庫)

 

 

おすすめ度: ★★ (3つ星が最高点)

  アイスランドレイキャヴィク警察の犯罪捜査官エーレンデュルを主人公とする警察小説の4作目。

 

  干上がった湖底から数十年前と推定される白骨が見つかる。頭蓋骨には穴が開き、ソ連製の盗聴器が体に結び付けられていた。エーレンデュルは同僚の警察官と共に、国籍さえはっきりしない遺体の捜査を始める。

 

  警察の捜査と並行して、ある男の過去が回想される。若い頃、男は社会主義を信奉し、優秀な学力を認められて東ドイツに留学した。憧れの国で、同じくアイスランドから留学している友人たちと交流を深める。ハンガリーからきた女子学生との同棲生活を始め、前途洋々の学生生活が始まったかのように見えた。しかし、女子学生が突如、失踪する。

 

  事件の背景となっているのは第二次世界大戦後の冷戦時代である。人口わずか30万人の小国アイスランドでさえ、冷戦とは無縁ではなかった。アイスランドソ連・東ヨーロッパとアメリカ・西ヨーロッパの間に位置し、地政学的に重要な地であった。冷戦が終結するまで、自国の軍隊を保持しないアイスランドにはアメリカ軍が駐在し、国内には東側と西側のスパイが跋扈し、情報戦を繰り広げていた。

 

  社会主義という理想を追い求めた学生たちが大人になり、ある者は理想を諦め、ある者はかつての仲間を密告するスパイに成り下がる。そして、ある者はいつまでの過去の遺恨を胸に抱えたまま長い人生を生きていく。この事件は、時代に翻弄された悲劇の人間ドラマである。

 

  個人的な犯罪を端緒として、国家への告発に進展していく展開は北欧ミステリーの伝統を正統に引き継いでいる。

  ヨーロッパミステリ大賞、バリー賞受賞作。

『ロックで生活する方法』 忌野清志郎

 

ロックで独立する方法 (新潮文庫)

ロックで独立する方法 (新潮文庫)

 

 

おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

 

  日本の偉大なるロックバンドであるRCサクセション忌野清志郎のインタビュー集。

  編集者によるあとがきによると、本書の元となった隔月刊誌の原稿は、インタビューアーと清志郎による対談として掲載されていた。しかし、「より直接的なメッセージとして清志郎の言葉を届けたい」との方針転換から、清志郎の独白としてインタビューを編集し直したのが本書。この試みは見事に成功し、まるで清志郎が喫茶店でくつろぎながら読者に語りかけているような臨場感がある。

 

  高校時代に仲間とバンドを結成、そしてレコード・デビュー時のエピソードから始まり、時系列順に語られていく。「ぼくの好きな先生」などがヒットしたことによって、一躍脚光を浴び、日本のロック史に残る偉大なバンドとして確固たる地位を築き上げる。ところが、メンバーとの擦れ違いからRCサクセションを解散し、新たなバンドを新生し、音楽活動を続けていく。

 

  本書を読んでびっくりしたことがある。RCサクセションというと、清志郎のワンマン・バンドというイメージが一般的だ。でも、清志郎はそうじゃないという。自分はあくまでバンドマンの一員にすぎないと。実際、音楽活動による収入はバンド内で平等に分けあっていたという。

 

  レコード会社やファンに左右されることなく、ミュージシャンとして、表現者として、自分の表現したいことを誠実にやり抜いた清志郎の生きざまには脱帽する。

 

『すべての医療は「不確実」である』 康永秀生

すべての医療は「不確実」である (NHK出版新書 567)

 

おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

 「これを食べればがんが治る」とか「これを飲めば痩せられる」などのエセ医療や健康食品の世間をにぎわすことが後を絶たない。

 本書は臨床疫学の専門である著者が「すべての医療は『不確実』である」との立場から、医学の限界を自覚しながらも、エビデンス(科学的根拠)に基づいた医療を追究したものである。

 

 よくある健康食品については病気を直接治す効果はないと断言する。では、病気に効果がある食事法とか何か?

 バランスのいい食事、腹八分目、よく噛んで食べることの3つが健康によい食事法であると指摘する。誰もが知っている当たり前の結論であるが、食事と健康との関係の意外性を求めるべきではないと釘をさす。

 

  ジャ-ナリズムの罪悪を警鐘している。

  タミフルが導入された当時、タミフルを服用した患者が異常行動を起こし自殺したとの事故が新聞やテレビでにぎわった。専門家たちはタミフルの服用が一因となっている可能性もあると指摘したにすぎなかったが、あたかもタミフルが直接的な原因であると断言した報道がされた。その後の調査で、タミフルを原因としたものではなく、インフルエンザの症状であることが判明し、当時の報道は誤りであった。

 

 子宮頸がんワクチンはほぼエビデンスが確立されたものだった。朝日新聞に、ある中学生がワクチンを接種したことにより、しびれなどの副作用が生じたという記事が掲載された。この記事が波紋を起こし、厚生労働省はワクチンの接種を「積極的な勧奨」から個人の「自由」と方針転換された。専門家によると、ワクチンと副作用の因果関係は考えにくいとの意見にもかかわらず、この点をマスコミは報道しなかった。将来、ワクチンの接種を受ける女性が減少した結果、日本では子宮頸がんが増加することになるだろうと警鐘を鳴らしている。

 

 これらの悪しき例は、エビデンスを無視した結果に生じたものである。私たちもマスコミによる煽情的な報道に惑わされることなく、しっかり事実に目を向けるべきだろう。

『本を売る技術』矢部潤子

本を売る技術

 

おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

本の雑誌』の杉江由次氏が、36年間、売り場で勤務した矢部潤子氏から、売れる書店を作るための極意をつぶさに聴き取ったインタビュー集。矢部氏は芳林堂書店、パルコブックセンター、リブロ池袋本店など時代をけん引した書店で勤務した経歴をもつ。

 

本の注文と返本、本棚の並べ方、スリップの活用方法、ポスターの貼り方に至るまで、これまで書店員が口伝してきた指南が事細かく語られている。

特に興味深かったのは、平台での本の並べ方。百戦錬磨の書店員の知恵が凝縮され、並べ方いかんによって売れ行きが変わってしまうという。32点の本が並べられる平台があったら、どのような順番で本を置くべきか?ぜひ本書を手にとって、確かめてほしい。

 

出版社やジャンルごとに並べてあるだけに見える本が、書店員による周到な意図、いや商売魂のもとに配置されていることがよくわかる。

これまで私は自分の興味にあわせ自発的に本を手に取っていると思っていたけど、書店員の巧妙な思惑によって本を選んでいたにすぎないのでは?そんな疑念が頭をかすめた。もちろん書店員の仕掛けに乗せられたにせよ、ワン&オンリーといえる新たな本との出会いであったわけで、喜ばしい限りだ。

 

明日から本屋へ行く目が変わる一冊。

『グラスホッパー』 伊坂幸太郎

 

グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

 

 

おすすめ度: ★★★(3つ星が最高点)

 

 教師の鈴木は事故で妻を亡くす。妻の死を不審に思った彼が興信所に調査を依頼したところ、妻は事故死ではなく、「令嬢」という怪しげな会社を経営している寺原の長男により轢き殺されたと判明する。鈴木は妻の復讐を果たすため、教師を辞め、「令嬢」の社員として潜入し、寺原長男を殺害する機会をうかがっていた。その矢先、鈴木の目の前で、寺原は車に轢かれて亡くなってしまう。同僚の比与子によると、事故ではなく、事故に見せかけて暗殺する「押し屋」と呼ばれる殺し屋によって殺されたのだという。比与子の命令で、鈴木は逃げた「押し屋」の後を追跡する。

 

 一方、不祥事を起こした政治家の依頼で、「自殺屋」と呼ばれる殺し屋は彼の秘書を自殺させる。ところが、「自殺屋」を信用できなくなった政治家は、新たな殺し屋「ナイフ使い」を雇い、「自殺屋」を抹殺しようと謀る。ところが、「ナイフ使い」が予定の場所に遅刻したため、逆に政治家は「自殺屋」の手によって自殺させられてしまう。「自殺屋」は自分の殺しを請け負った「ナイフ使い」を殺害することを決意する。そして、「ナイフ使い」は殺し屋としての名を上げようと、「押し屋」を殺そうと企む。

かくして3人の凄腕殺し屋たちの殺戮ゲームが幕を開ける。

 

 3人の殺し屋のキャラクター造形が抜群にいい。「自殺屋」はターゲットに語りかけ、一種の催眠術のような技によって、自殺に追い込む。こんな荒唐無稽で現実には絶対存在しそうもない人物なのに、圧倒的なリアリティーで存在している。殺し屋だけではない。脇役たちもいい味を出している。「ナイフ使い」に仕事を斡旋する岩西は、ことあるごとに彼の尊敬するミュージシャンのジャック・クリスピンの言葉を引用する。「死んでるみたいに生きたくない」など決め台詞をしばしば口にし、読者を楽しませてくれる。

 

 洒脱な会話に隠された伏線の妙、伊坂幸太郎お得意の時間の巻き戻し技法が多用され、効果を上げている。生死をかけた非情な世界に生きる男たちの姿を、軽妙な文体で活写した、いかした犯罪小説。

『探偵の現場』 岡田真弓

 

探偵の現場 (角川新書)

探偵の現場 (角川新書)

  • 作者:岡田 真弓
  • 発売日: 2020/02/08
  • メディア: 新書
 

 

おすすめ度: ★  (3つ星が最高点)

 

 著者は女性にして総合探偵社を設立し、社長を務めている。ラジオ番組「岡田真弓の未来相談室」でのパーソナリティを始め、様々なメディアに出演している。

 

 この探偵社がユニークなのは、探偵学校を併設していること。初級から独立開業コースまで3つのコースがあり、修了者の2割が探偵業を営んでいるという。

 もうひとつユニークな点は、業界でいち早くカウンセラー制度を導入し、従来の探偵社のように調査をしたらおしまいではなく、依頼者の心のケアもサポートしていること。こうしたきめ細かいアフターケアは女性ならではの心遣いだろう。実際に当社がかかわった事案では、浮気の事実発覚後も7割は離婚せずに夫婦関係を継続しているという。

 

 探偵社への依頼の7割は浮気調査で、当社がかかわった浮気調査の顛末が豊富に紹介されている。紹介されている事案は、どれも「事実は小説よりも奇なり」で、業務に慣れている探偵でさえ茫然としてしまうケースも少なくない。なかでも警官の妻からの浮気調査は、ひとつ間違えば夫である警官から逮捕されてしまうリスクも背負うので、探偵も楽じゃない。

 

当社の浮気調査によると、

・不倫相手の半分以上は、同じ会社の上司や同僚。

・愛人は妻より容姿が劣っている女性が多い。その理由は容姿が劣っている女性の方が、異性と巡り会うケースが少ないせいか、男性に尽くすタイプが多いそうだ。

・浮気する年齢は40代がもっとも多く、全体の38%を占める。

 

また、社会の変化に合わせて、浮気の実態もここ数十年で大きく変動しているのが興味深い。

・かつて依頼者は妻が9割を占め、夫は1割にすぎなかったが、今では依頼者の4割が夫である。

・60歳をすぎた依頼人の急増。

 

 「マンションで張り込みをしていたら、管理人から質問を受けた。どうしたらよいか?」といった、探偵の尾行や聞き取り調査の実践テクニックが惜しげもなく紹介されている。

 また、探偵の7つ道具として、以前はビデオや録音機といった、かさばる機器を持ち歩いていたが、現在ではほとんどはスマホで用が足りてしまうそうで、探偵必須のアプリも明記されている。

 

 探偵が浮気の有無を判断する材料として、「不倫・浮気チェック法」が具体的に紹介されている。一例として、「知らない香水やタバコの香りがする」「下着が変わった」など。浮気をしている人も、されている人も大いに参考にしてよいのでは?

『AX アックス』 伊坂幸太郎

 

AX アックス (角川文庫)

AX アックス (角川文庫)

 

 

おすすめ度: ★★★  (3つ星が最高点)

 

 恐妻家にして一人息子のよき父である、凄腕の殺し屋が活躍する短編集。主人公の表の顔は文具メーカーの営業社員・三宅であり、殺しの世界では兜と呼ばれる。

 主人公は不遇な少年時代を過ごし、生きるためにやむをえず殺人で生計を立てている。両手両足の指では足りないほどの殺人を執行したベテランの仕事人だが、自分の家族と自分によって殺された者たちの家族を案じ、殺しの世界から足を洗うことを決意する。殺人の仲介者である医師に辞意を伝えたその日から、医師が差し向けた殺し屋から命を狙われ始める。

 5つの短編がそれぞれ独立しながらも、緩やかに連携し、大きな物語として最終話に収斂していく。

 

 主人公の人物造形がいい。業界では一流の殺し屋として恐れられる存在。家庭では、妻との関係を円滑にするための処世術を、ノートにまとめている小心者。息子からは妻に気を遣いすぎると呆れられる始末だ。また、満足な青春期を送ることができず、親しい男友達がいない主人公は、理解しあえる友人を作りたいと切に願っている哀れな中年男でもある。

 

 この小説は、死と隣り合わせの稼業を営む男の特別な物語ではない。主人公ほど切迫した死の不安を意識していないだけで、誰もが生きている以上は死の淵に面している。明日、交通事故に遇うかもしれないし、1週間後、心臓発作で突然死するかもしれないし、1か月後、巨大地震に見舞われるかもしれない。私たちだって、主人公と同じように常に死のリスクにさらされている。したがって、主人公の生きることへの不安は、私たちの不安でもある。

 

 主人公は多くの人を殺め、他人を犠牲にすることでしか、自分たち家族が生きていけないことに強い罪悪感を持っている。私たちもまた他人を傷つけることでしか、生きていけない存在だ。「他人の犠牲」を自覚して生きている分、無自覚な私たちよりも主人公の方が人間社会を理解しているといえるかもしれない。

 

 すべての文章に伏線が張られている、といっても過言ではないほど、高度な計算と技巧にあふれている。にもかかわらず、読者は著者の企みに気が付かない。気が付かないばかりか、軽く読み流してしまう。読み終えた瞬間に、さりげないセリフに込められた重要さにようやく気が付き、心地よい「やられた」感とじわじわした感動を覚える。

 

 死への不安という暗いテーマを扱いながら、ユーモアあふれる軽妙な文体により重苦しさを回避している。伊坂マジックと呼ぶべき高品質なスタイルは、うなるほどうまい。

 手に汗握るスリリングな犯罪小説であり、予想不可能な娯楽小説であり、愛に満ちた家族小説。